堀川戎神社

堀川戎神社の基本情報

住所
大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
アクセス
地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」徒歩3分
JR東西線「大阪天満宮駅」徒歩3分
JR環状線「天満駅」徒歩20分
阪急電鉄・阪神電鉄「梅田駅」徒歩20分
京阪電鉄中之島線「なにわ橋駅」徒歩20分
駐車場
なし
詰め所
有人
公式サイト
あり

堀川戎神社のご由来

社伝によれば、欽明天皇の時代に止美連吉雄が蛭児大神の神託により大阪の堀江で玉を得てそれを御神体として豊島に蛭児大神を祀ったのが始まりとされています。
当時は瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と呼ばれておりました。

651年に少彦名命を703年には天太玉命が配祀されてています。

1159年、平清盛と源義朝が指揮を取りぶつかった平治の乱を避けて京丹波の何鹿郡山家に遷座しました。1352年~1355年の間に現在の地に遷座して以降、堀川戎社と呼ばれるようになりました。

江戸時代中期頃には祭礼が非常に盛り上がり、今宮戎・堀川戎が大阪の十日戎を代表するようになりました。

1907年に近隣の神社を合祀して堀川神社に改称して、村社に列格しました。
1945年に戦火で社殿始め全建物を焼失しましたが焼失しましたが1963年に本殿が再建されました。

地車稲荷神社

堀川戎神社の北方50メートルほどのところに榎の大木があり、いつの頃からか人々はその木に神霊が宿っていると考え、その根本に祠を作って、合わせて堀川戎神社の別魂をお祀りしていました。

1837年にはそれまで堀留となっていた天満堀川を淀川まで延長・通水した際には、役所よりこの榎木神社(地車稲荷神社)を設立せよとの命令があってこの地に15坪の土地を得て、1839年2月に近隣の町の協力によって本殿と拝殿が作られました。

1907年5月21日に神社合併政策によって堀川戎神社の境内に移転して地車を本殿として祀られました。
昭和20年には戦火により堀川戎神社ごと焼失してしまい仮奉祀ののち現在の地に社殿を造営してお祀りされました。

ご由来は各地の稲荷神社と同じく、五穀豊穣・商売繁盛の神様として崇敬されています。
特に通称の地車吉兵衛の名は江戸時代より関西一円に名高く、願い事を叶えられるとその夜に地車ばやしが聞こえると言われました。

俗に言う狸神としての信仰で今に至っても崇敬者が非常に多いです。

堀川戎神社の祭事

1月9日~11日:十日戎宝の市神事
4月20日:春大祭
11月20日:例祭

清水 宏積

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