御幸森天神宮の基本情報
- 住所
- 大阪市生野区桃谷3-10-5
- アクセス
- JR桃谷駅徒歩10分
JR・地下鉄・近鉄の鶴橋駅から徒歩15分 - 駐車場
- 要問合せ
- 詰め所
- 有人
- 公式サイト
- あり
御幸森天神宮・由緒
【仁徳天皇】
難波に都を定められた仁徳天皇は、鷹狩りのために当地の森を訪れておられました。
現在の東住吉区あたりに住んでいた百済の人達の様子をご見聞の為いらっしゃっていたそうで、そこから「御幸の森」と呼ばれる様になりました。
天皇崩御後の西暦406年、人々はこの森に社を建立し天皇のご神霊をお祀りし、「御幸の祠」とも「御幸宮」とも称したと伝えられています。
【少彦名命】
西暦850年頃、この地方に疫病が流行しました。
当宮の社僧大蔵院行綱は京都五條天神社に参籠し災厄追放を祈願し、
同社の御祭神、少彦名命のご神霊を当宮に勧請奉斎しました。
そのため、疫病も治まったといいます。
この頃から「天皇天神社」とも「天神宮」とも呼ばれるようになりました。
【忍坂彦命】
玉造清水谷付近に忍坂彦命を地主神として崇敬されていた社がありました。
それが大阪夏の陣の兵火に遭い消失。
大阪城主松平忠明は当宮にご神霊を奉遷するように指示し、旧平野川中洲の地3000歩と灯明台1基を寄進されました。
猪飼野の氏神
「猪飼野」とは、御幸森天神宮の氏子地域の古くからの地名。
昭和48年に「桃谷」という名称に変わりました。
今から1600年程前、猪飼野は猪甘津と呼ばれ難波の入江の港で、
猪甘部(猪を飼育していた古代の官職。鷹甘部などと同じ)が住んでいた場所でした。
また、日本書紀仁徳天皇14年の条に「猪甘津に橋をわたす名付けて小橋という」と書かれています。
当宮の前を流れていた百済川(旧平野川)に架けられた橋で、文献上に残る日本最古の橋です。
生野区唯一の戎祭り
大阪と言えば、毎年1月は、各地で戎祭りが行われています。
御幸森天神宮の摂社にも、戎さんがお祀りされており、毎年1月9日10日11日は多くの人で賑わいます。
大阪市生野区内では唯一の戎祭りです。
大阪市の保存樹と、国の登録有形文化財
昭和43年10月1日境内の椋の木(樹齢およそ300年)が大阪市の保存樹に。
平成12年4月28日本殿・幣殿・拝殿・透塀が国の登録有形文化財に指定されました。
平成18年創祀1600年祭を斎行し記念事業としてご社殿のお屋根替えをしました。
御幸森天神宮
- 大阪市生野区にある仁徳天皇・少彦名命・忍坂彦命を祀る神社。仁徳天皇が鷹狩りに訪れた森があったとされる場所です。摂社に戎さんをお祀りしており、1月9・10・11日は毎年戎祭で賑わいます。近隣には、年々観光客が増えている注目のスポット、コリアンタウン(御幸通り商店街)・鶴橋商店街・桃谷商店街があります。