宇治上神社

ご祭神

  • 応神天皇
  • 菟道稚郎子命
  • 仁徳天皇

宇治上神社の基本情報

住所
京都府宇治市宇治山田59
アクセス
JR奈良線 宇治駅 下車徒歩20分
京阪電車宇治線 宇治駅 下車徒歩10分
駐車場
付近有料駐車場あり
詰め所
有人

宇治上神社のご由来

応神天皇の末の皇子であられる菟道稚郎子は幼い頃から多くを学ばれて色々な事柄に精通され、博識聡明なお方でした。
それ故、父君の応神天皇より愛され慈しまれて皇太子となられたのです。

しかし、天皇が崩御されると、菟道稚郎子は兄君である大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇です)に天皇の位を譲られて現在の宇治に離宮を建てられ、その身を引かれました。

ですが、仁徳天皇も「天皇の位は先帝がの定められた事、軽々しく変えることなど出来はしない。それに菟道稚郎子は国民からも慕われております。一刻も早く皇位について下さい。」とおっしゃられました。

このようにご兄弟で位を譲り合われたまま3年が過ぎたときのことです。
国民はとまどい、世も乱れはじめました。

菟道稚郎子は自分のせいだととても悲しまれて、心を痛められました。
「このまま私が生きていては、さらに世は乱れよう。」
そのおっしゃり自らの命を絶ち仁徳天皇を皇位につかせたのです。

この知らせを聞いた仁徳天皇はたいへん驚かれ、難波から菟道の宮にお越しになれれました。
驚きと悲しみを胸に、菟道稚郎子を手厚く葬られたそうです。

これが宇治上神社の創建の謂われとされています。

離宮いろはの紅葉

宇治上神社は江戸時代までは、『宇治離宮明神』『離宮八幡宮』『離宮上社』と呼ばれておりました。
本殿・拝殿に寄り添うように一緒に時の流れを積み重ねてきた『いろは紅葉』そこから『離宮いろは』と名付けられました。

『いろは紅葉』とは、葉が小さくて分かれた裂片を「いろはにほへと・・・」と数えたことが由来です。
秋になると褐色がかかった黄色から紅色に紅葉して散り、春には濃い紫色の花をつけます。

清水 宏積

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